Columnコラム
来る9月24日(日)に大劇場で上演される松竹大歌舞伎の演目である「土屋主税」について、
歌舞伎初心者の担当が調べてまいりました!
早速、前回の続きから、
「忠臣蔵」の基となった「赤穂事件」について
ザックリと、そして簡単にご説明します。
※イラストはイメージです。
①江戸時代に、江戸城・松之大廊下で、
播磨赤穂藩藩主 浅野長矩が高家の吉良義央を
「小さ刀」で後ろから斬りつけます。
斬りつけた理由はいくつか説がありますが、
勅使饗応役(朝廷からの使者をもてなす役割)を任されていた浅野は、
儀式指南役(朝廷に関わる儀式や典礼を指導する役割)である吉良から
嫌がらせを受けていた、というものがよく取りざたされています。
②その後、浅野は即日切腹、浅野家は所領の播州赤穂を没収の上、
改易(領地も屋敷も没収されるという処分)されたが、
吉良はなんのお咎めもありませんでした。
江戸時代は、喧嘩両成敗がおきてとなっていたので
これが喧嘩であれば吉良も切腹です。
しかし、吉良は逃げただけだったので喧嘩両成敗は成立せず、
また浅野の「この間の遺恨」については調べられることは
ありませんでした。
③浅野の家臣たちは、浅野家再興の道も残されていたため、
不満を抱きつつも、幕府に反発の意思をみせず、
素直に赤穂城をあけわたします。
しかし、浅野の弟(浅野大学)の閉門が言い渡され、
再興の道を閉ざされてしまったため、
浅野の家臣で家老であった大石は
吉良邸への討ち入りを正式に表明しました。
この時、討ち入りに参加した47人を、【四十七士】と呼びます。
④元禄15年12月14日、大石以下46人で吉良邸に侵入し、
吉良を討ちとり、その首を浅野の墓前に供えました。
その後、引き上げの最中に消えた一人を除く46人は幕府の指示に従い、
全員切腹しました。
というのが、「赤穂事件」の流れです。
ここには書ききれなかった詳細もまた面白く、
興味を持った方は、ぜひ深いところも調べてみてください!
……あれ?土屋さんは……?
忘れていました!
なんと土屋さん、もう登場していました!
説明をさかのぼり、④の討ち入りシーンです。
この吉良邸のお隣さんが土屋さんのお屋敷だったんですね。
塀越しに討ち入りを知った土屋さんは、
この塀を越えて逃げてくる者はそのまま追い返しましょう!と興奮し、
吉良邸を高張提灯で明るく照らしました。
ただ、これが史実に基づいているかは微妙なところのようで、
土屋さんの当時の立場や、この話自体が伝聞であること、
そもそも吉良邸とは道を挟んでのお隣さんで、高張提灯を掲げても
そこまで明るくはならない……など、気になる点は多々あるそうです。
ですので、「土屋主税」は
「赤穂事件」を基にした「忠臣蔵」のスピンオフ作品ということに
なるんですね!
調べれば調べるほど、引き込まれていきます……!
次回の更新もお楽しみに!
担当・K
前回はこちら↓
「土屋主税」について調べてみた!①
続きはこちら↓
「土屋主税」について調べてみた!③上
最終更新日:2023.08.31