小浜司の【ドーナツ盤からの唄声~沖縄民謡最盛期の情熱~】に寄せて

  1. 小浜司の【ドーナツ盤からの唄声~沖縄民謡最盛期の情熱~】に寄せて

Columnコラム

 ドーナツ盤の時代に流行った島うたの時代は知らなくても、1990年代に林賢バンドやネーネーズらが巻き起こした沖縄音楽ブームは覚えているかな。80年代のワールドミュージックの世界的ブームのうねりは沖縄音楽にも刺激を与えた。すなわち沖縄ポップの台頭により、90年代の日本の音楽シーンを席巻した。21世紀になると、夏川りみや安室奈美恵といった不動のスターを生み出した沖縄音楽。沖縄という地域の独自性から次から次へと生まれてくるダイナミックで斬新なリズムは沖縄の歴史と風土から生まれた生活に密着した音楽であるといっても過言ではない。という意味で、沖縄音楽はしたたかである。それこそ琉球王朝の時代から独自の音楽を育み発展させて来たのだから。
  さて、1960年代から70年代である。日本における沖縄ポップブームの前に、沖縄における沖縄民謡=島うたブームの時代があった。それはまさにドーナツ盤レコードの時代に地下で燃えたぎっていたマグマが、爆発噴火したものだった。
  先の大戦で島の形が変わるほど破壊された沖縄で、復興の心の支えは音楽であった。ウチナーンチュは三絃の音色と芸能を糧に激動の社会を歩んできた。日本が高度成長時代や音楽の大衆消費時代を迎えた頃、ウチナーンチュにも少しレコードやステレオを買う余裕が出て来た。EPレコードとLPレコードである。なかでもシングルのドーナツ盤は民謡を聴くのに適していたのかもしれない。その要因の一つにジュークボックスの流行がある。アメリカ文化から直接の流入で、Aサインバーにはもちろん、民謡クラブ、人気パーマ店などにも備えられ、日常生活に溶け込んだものであった。本場アメリカにおいてもジュークボックスから掛かるミュージックは人気のバロメーターであった。ここ沖縄では新人民謡歌手は自分の存在を知ってもらおうと、新曲を欲しがり、レコードにしてジュークボックスに収めるのが歌手のステイタスであった。
  それは日本におけるアイドル歌手全盛の歌謡曲のように、民謡も次から次へとヒット曲が生まれ毎日のように新作民謡が生まれていた。72年の日本復帰、75年の海洋博、78年のナナサンマル(交通変更)へと向かう時代の流れに、自らのアイデンティティを確かめるように音楽と向き合っていた。沖縄の人口は大体日本の100分の1である。100分の1の規模のマーケットである。ヤマトでレコードが100万枚売れるとミリオンセラーと称して絶賛の評価を浴びる。では沖縄では1万枚売れると日本で言うところのミリオンセラーだ。この小さな沖縄の音楽マーケットで1万枚どころか7万枚を売り上げたレコードもあるのだ。
  筆者はラジオから流れる、ビートルズのLet It Beと並んで瀬良垣苗子(1938年~2016)「うんじゅが情どぅ頼まりる」がヒットソングリクエストで一緒に流れていたのを覚えている。これはほんの一例。今回、ドーナツ盤時代のそれこそ“ミリオンセラー”の大物歌手が勢揃いし、ユンタクして歌うという機会は滅多にないことである。音楽好きにはたまらないイベント。そんな歌手たちの放つオーラを子供や孫、また三絃奏者は弟子達と一緒に見て直接、目と耳と肌で感じていただきたい。
  ナビゲーターの知名定男は何を語るか。喜納昌吉はどんなマブヤー(魂)を届けるのか。大工哲弘は、元ちゃんは?饒辺愛子、大城志津子、金城恵子、玉城一美、我如古より子と、それぞれの“娘”ジントーヨーは?まさに肝どんどんですな。
  沖縄が本当に「歌の邦」だということを実感していただけると筆者は確信している。


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ドーナツ盤からの唄声~沖縄民謡最盛期の情熱~
 

最終更新日:2024.01.31

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