『失われた可動を求めて』
昔の名人が、刀を振ると、誘蛾灯の灯りに惹かれる蛾のように、相手の首が吸い寄せられる。みたいな話をどこかで聞いたことがある。
「ケッ! んなわけあるかよ」と当時は、いや、正直最近まで思っていたのだが、この度「あ、そういう感じってあるかもしれん」と考え直すことがあった。
先日の稽古の話である。
その日は、稽古の中で白神さんによるちょっとしたワークショップがあり、白神さんは、役者さんたち+jujumoのおふたりに身体の動かし方をレクチャーしていた。
とりわけ印象に残ったのが、みぞおちの位置を変えると「見え方」が変わるということを、教えていたとき。
みぞおちを、前に張り出すように上げる。すると、自信があるように、かつ若干威圧的にも見える。次に、少し身体を丸めるようにして、みぞおちを背中側に持っていく感じの姿勢に入る。すると、なにか寂しげで可憐に見える。
それから、役者の垣花さんに立ってもらって、まずはみぞおちを上げた状態の白神さんが、ゆっくりと迫る。すると、立っていた垣花さんが、後退る。今度は、みぞおちを背中に近づける感じの姿勢で、白神さんが垣花さんから離れる。離れるとき、垣花さんがつられて前に移動することこそなかったが、白神さんが迫るときには、たしかに斥力が見えたし、離れるときには引力が見えた(や、ホントに)。
昔の武術の達人は己と相手を「同期」させ、相手を操ることができたそうな。
でもって、「同期」の前段階として、「誘発」があったらしい。
白神さんは、みぞおちの位置を変えることにより、この「誘発」に近いことしているのではないだろうか? というのが、今回の稽古を見ての仮説である。
おそらく、先の名人は身体から引力を発し、相手の動きを操り、振り下ろす刀の動線上に相手の首を持っていくという、にわかに信じがたい術を発動できたのだろう。
帰るやいなや、みぞおちを意識しながら、站樁をする。みぞおちを背中側に移動させて立っていたら、ふいに既視感を覚える(考えたら、これって太極拳の姿勢なのでは?と)。みぞおちを意識しながら何年かぶりに24式をやってみたら、なんてことはない。
考えてみると、太極拳は引力の武術であろう。自分の思う場所へ相手の動きを“誘い”、円運動による力の変換で相手を倒す。
自分の動きが、信じがたい達人の動きと「ちょっとだけ関係あるかも」と思える、良いヒントをもらえたありがたい稽古だった。
「おもわず混ざりたくなる身体の動き」
「この日、一番の笑いが起こった最高のキメ」
「真面目にふざける垣花さんと北川さん」
「jujumoさんの音源に即興的に空手を披露した井上さん。めちゃくちゃカッコよかった‼︎」
書き手・奥間 空
(毎週木曜更新)
□□プロフィール□□
奥間 空[おくま・そら]…詩人。1992年生まれ。沖縄県嘉手納町出身。二十代後半より、詩や小説などの執筆活動を始める。受賞歴に第15回おきなわ文学賞詩部門一席など。近年は文芸だけでなくアート作品の制作にも着手している。
https://twitter.com/okuma_sora
□□公演概要□□
「出会い」シリーズ②
白神ももこ×兼島拓也『花売の縁オン(ザ)ライン』
日程:11月30日(土)14:00開演、19:00開演/12月1日(日)14:00開演
会場:那覇文化芸術劇場なはーと(1階)小劇場
料金:一般4,000円/U24(24歳以下)2,000円/18歳以下:1,000円/障害者・介助者:2,000円
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